今回ご紹介するのは、3.11東日本大震災以来、髪を切っていないという12歳女の子のお話です。
その子は当時1歳で震災の記憶はありませんでした。しかし、その時から彼女のお父さんはいなくなってしまいました…
パパが最後になでてくれた頭だから
「パパが最後になでてくれた頭だから、髪を切らないの」。1歳の時に東日本大震災で父を失った高橋心陽(こはる)さん(12)。以来、後ろ髪を伸ばし続けてきたが、東日本大震災から10年が過ぎた昨年3月末、初めてその髪を切った。春からは中学生。短い髪で新しい門出を迎える。
震災当日、仙台市内で人工芝の施工業を営んでいた父・昌照さん(当時37歳)は、地元の消防団員として、避難を呼びかけながら津波にのまれて亡くなった。自宅も津波に流され、父の記憶は何もない。だからこそ、優しい父がなでてくれた髪を伸ばし続けてきた。
■突然の別れ
2011年3月11日。母・陽香さん(48)は心陽さんと二つ上の兄・真心(こころ)さんを保育園に預け、体調を崩した自身の父を見舞うために実家がある宮城県塩釜市へ出向いていた。地震の後、電話で「一度家に戻る」と言った陽香さんに、昌照さんは「こっちには来るな。保育園の子供たちを頼む」。その言葉が最後になった。
■伸びた髪に生まれた葛藤
幼稚園、小学生と伸びる身長に比例して、心陽さんの髪もどんどん長くなっていった。膝ほどまで伸びた髪は、次第に生活に支障をきたすようになった。髪を洗うだけで30分かかり、体育の授業では、縄跳びをすると引っかかってしまう。父への思いと、いつまで伸ばすのかという気持ちがせめぎ合うようになった。
19年9月。「じいじ、本当は私、髪を切りたいかも」。昌照さんの父である祖父の由一さん(79)の家に行き、打ち明けた。「ふーん、そうか」。由一さんはそれ以上何も言わなかったが、応援してくれていると感じた。
「お母さんが、本当は伸ばしていてほしいって思っているのを知っていた」と心陽さん。だが、いつしか「髪を切っても、自分の中に大勢の人の命を助けたお父さんはいる」と思えるようになっていた。その後、陽香さんにも「震災から10年が過ぎたら、髪を切りたいと思っている」と、正直に打ち明けた。
■初めてのカット
21年3月25日。美容室で心陽さんは初めて髪を切った。断髪式としてはさみを入れたのは由一さん。「ずっと見守ってくれたじいじに切ってほしかったから」と、心陽さんが頼んだ。
「もっと小さい頃は、父親がいないことは普通じゃないと思っていた」と心陽さん。津波で父親を亡くしたことは友達にもほとんど話してこなかったという。ただ、年齢を重ねるにつれ、被災した人が周りにもいること、身近な友達も一人親であることなどを知り、「私だけが特別じゃないんだ」と思えるようになった。「それが髪を切った理由の一つでもあり、気持ちの面でも節目になった」と語る表情は晴れやかだ。
4月からは、仙台市内の私立中学に通う。両親に「芯が強く、心は太陽よりも明るい子に」と願いを込めて名付けられた心陽さん。「中学生になったらもっとたくさんの人と関わって、いつかお父さんみたいに周りを笑顔にできる人になりたい。お父さんはずっと、私のヒーローだから」
参考:毎日新聞
東日本大震災では多くの人の命が亡くなり、残された多くの人の心に深い傷を負わせることとなりました。
しかし11年という年月が経ち、みなさん強く前を向き、残された者として恥じないように生きています。
その中の一人である心陽さん、きっと彼女は命をかけ人々を助けた勇敢なお父さんのようになれるはずです…